「私のリサーチ不足で、すみません。コナン・ドイルなら知らない人間の方が少ないと思って、無難なチョイスをしました。確かに向井先生の推理はポワロ寄りですよね」
悪気など全くない顔で臥龍岡が笑む。
無難なチョイスという割に、内容はマニアックだったと思う。
(ここでの会話は盗聴済み、203号室に仕掛けていた盗聴器についても認める発言だけど。開き直りって感じもしないな)
恐らくは、隣の103号室にでも身を潜めて会話を聞いていたのだろう。
理玖のこれまでの推理など、盗聴した会話を聞いていない限り、臥龍岡は知り得ない。
「お気付きだと思いますが、ここでの会話は警察に筒抜けです。発言には気を付けた方がいい」
「御気遣い、痛み入ります。けど、問題ありません。聞かれて困るような会話はしていませんから」
理玖は思わず臥龍岡を見詰めた。
変わらぬ張り付いた笑顔が理玖を眺めていた。
「私は秋風君に、茶会の招待状を託しただけです。我々の
理玖は秋風を窺った。
冴鳥に抱き止められている秋風の呼吸は穏やかになりつつある。
少し申し訳ない気持ちで、理玖は口を開いた。
「僕の目的が破壊でも、ですか? 貴方方を利用して、貴方方が命より大事にしている故郷を破滅させるつもりでも?」
後ろの秋風が、ひゅっと息を上げた。
しかし、臥龍岡の表情は変わらない。
「破壊、か。そうですね。そうなったら我々は、もしかしたら命を失うのと同じくらい苦しむのかもしれません。しかし人として生きるなら、それが理想なのでしょうね」
悲しげな瞳が俯く。
「けど、向井
「USBですよね。在りそうな場所は……」 晴翔が箪笥の下から二番目の長い抽斗を一つ、抜き出した。 奥の方に手を突っ込む。「あった」 晴翔が手を入れた先を理玖は覗き込んだ。 下側の板に穴が開いて蓋のようになっている。その蓋を晴翔が外して、中に手を入れた。「何もなさそうですね。ここじゃないのか」「まだ仕掛けがあるの?」 既に三つも凝った仕掛けがあるのに、まだあるのだろうか。「思いつくのは、あと一個ですね」 晴翔が上から三段目、左側の抽斗に手を掛ける。 カツカツと、突っかかる音がして開かない。「うん、これっぽい」 すぐ隣の扉を開き、中の抽斗を取り出す。 さっき二段底になっていた引き出しだ。 抽斗を取り出した左側にくぼみがあった。「このくぼみに埋まっている突起をスライドさせます」 突起を右側にスライドしてから、晴翔がさっき開かなかった三段目の抽斗を引く。「動いた!」「隠れた場所にロックがあるんです。鍵みたいな感じです」 抽斗を開けると中には小箱が入っていた。「また、からくりだね。寄木細工の秘密箱だ」「如何にもUSBみたいな小物が入っていそうですね」 長方形の秘密箱は15×10程度の、両手で持ってちょうどいいくらいのサイズ感だ。「これ開けるのも得意なので、俺が開けますよ」
「栗花落さん、RoseHouseの子供たちは皆が、叶大と圭がクローンである事実や、自分たちの出自を承知していますか?」 理玖の質問に栗花落が首を振った。 呼吸を整えて、ゆっくり口を開く。戸惑い唇から、小さな声が零れた。「俺が……、知ったのは、偶然。書類上は、全員が孤児で、本人も、そう思ってる。音也も、俺と同じ、っす。音也が庇ってくれた、から、RoseHouseは、俺が知っているって、知らな……ひくっ」 栗花落が自分から國好の胸に顔を押し付けた。 息を止めて、促拍な呼吸を整える。「でも、特別。叶さんと圭は、人として、お手本。優秀な、masterpeaceって、マザーがっ、皆にはな……、はっ……、ぁ……マザー、ぁ……、ぁ、ぁ、ぁ」 國好の服にしがみ付く栗花落の手が震えている。 体が大袈裟なくらいに震え出した。「ごめん、なさい……、ごめんなさい、マザー、ごめんなさい……。もうしません、命令に逆らったり、しません。RoseHouseは絶対、マザーの言葉は、絶対。RoseHouseに育ててもらった俺たちは、命を懸けて、RoseHouseを守る。RoseHouseは故郷だから、死ぬまでRoseHouseとマザーを愛してる。ちゃんと、覚えます、裏切らない、裏切らないから……」 浅い呼吸を繰り返しながら、栗花落が口の中で呟いた。 震える手が國好の服を握り締めた。「礼音、礼音! 俺を見ろ、礼音!」 國好が叫んで、栗花落の顔を上向けた。 目の焦点が合っていない。怯え
「書類とUSBか……」 呟いた理玖の隣で、晴翔が手を伸ばした。「折笠先生から預かった書類がきっと一番重要ですよね。だとしたら、一番難しい場所に隠しますよね」 晴翔が一番上の真ん中の抽斗を外す。次で、右側の抽斗を引き出した。 奥にスライド式の引き戸が見える。「引き戸を、ちょっとだけ開いて……」 右の抽斗だけ戻して開け閉めを何度か繰り返す。 真ん中の抽斗を外した奥に、小箱の一部が見えた。 晴翔が抽斗を押し込む空気圧で、小箱がにょきにょきと姿を現した。「え! 晴翔君、凄い! 何か出て来たよ!」 理玖は栗花落と抽斗の奥を見詰めた。「でもまだこれじゃ、取れないんです」 左側の抽斗を引き抜いて、晴翔が仕切りに手を掛けた。 仕切りを取り外す。奥に隠されていた小箱が取り出せた。「うわぁ! 空咲さん、すげぇっす!」「これは、知ってないと絶対開けられない!」 理玖と栗花落に褒められて、晴翔が嬉しそうに照れた。「子供の頃の遊びが、こんなところで役に立つとは思いませんでした」 仙台箪笥で遊べるというのも、やっぱり御曹司だなと思う。「業平さんが教えてくれたお陰です」「見ているうちに思い出したでしょうけどね。早い段階で気が付いて良かったですね、坊ちゃん」「坊ちゃんは、やめてください……」 照れながら微妙な顔をしている晴翔とは裏腹に、業平は満足そうだ
鎮座する箪笥の引き出しは全部で五段ある。 一番上に抽斗は三つ。 二段目の、向かって右側に扉が一つ、左に二段の抽斗がある。 下の二段は横に長い抽斗がそれぞれ一つずつだ。 理玖はまず、じっくりと箪笥の外見を眺めた。 次に、ハマっていた板を同じ場所に宛がった。「柱が隠していた部分は真ん中。引っ掛かって開かない場所が怪しいと思ったけど……」「ほとんど開かないっすね。一番上の両脇の抽斗が、かろうじて開くだけっすね」 栗花落の仰る通りすぎて、理玖は柱を置いた。「全部開けて試すしかないね」 諦めた溜息を吐いて、理玖はまず、一番上の真ん中の抽斗に手を掛けた。「ネットで調べてみようと思ったけど、ここってまさかの圏外なんですか?」 晴翔が業平に向かって驚いた顔をしている。「何故か、迎賓館周辺だけはどの通信会社も回線が繋がりません。大学敷地内、他は全部圏内なんですけどね。これが一番の七不思議でしょうね」 七不思議、という単語に、理玖の肩がビクリと震えた。「業平さん、今はダメです。理玖さんの思考がオバケに持っていかれちゃうとマズいんで」 晴翔がこっそりと業平を注意している。「そうでしたね。向井先生の意外な弱点です」 業平が箪笥を眺めて指さした。「二段目の右側の扉の中、桐の抽斗が二段になっていませんか?」 指摘されて、栗花落が二段目の扉を開けた。 業平の言葉通り、二段になっていた。&n
理玖は襖の取っ手に手を掛けた。 大仰に思いっきり開く。 室内は、かなり明るい。 両側の壁の足元に小窓がある。見上げると高い天井に大きな窓があった。 天上は倉庫より、かなり高い。二階までの吹き抜けになっているようだ。「二階の部屋より広いですね。完全にプライベート空間て感じだ」 晴翔が零す気持ちもわかる。 置かれている二人掛けのソファもテーブルも使いこまれた感がある。 部屋の隅に置かれた机にはガラスペンが置かれている。 当時、使っていたものをそのまま保管しているのだろうか。 本棚が一つと、小さな戸棚が一つ。 部屋に備え付けになっているクローゼットのような扉がある。 反対側の奥には簡易なベットと小さなサイドテーブルがある。 福澤栄一が秘密の空間として個人使用していた空間なんだろう。「しかし、この中に向井先生が持っている鍵が合いそうな場所はなさそうですが」 一見して普通の部屋だ。 國好の意見も頷ける。「これだけ凝った場所に重厚に隠しているんだから、一筋縄ではいかないですよね」 晴翔が真剣な顔で周囲を見回す。 理玖は小物入れの中を改めて確認した。 残っているのは大きめのアンティークなウォードキーと指輪型の金属の鍵だ。「恐らくこの大きなカギで開けられる場所に、秘密が隠されている。そこに辿り着くまでに幾つか難題がありそうですね」 理玖は大きめのアンティークな鍵を手に取った。 晴翔が首を傾げた。「どうして、その鍵が最後って、わかるんですか?」「最初から小物入れに入っていたから。佐藤さ
業平が改めて懐中電灯を持ってきてくれた。 暗い階段は灯がないので、足元がおぼつかない。 先頭を國好が、その後ろを業平が歩き、晴翔に理玖、最後に栗花落が降りる。 幅が狭いので、一人で降りるのが精々だ。 階段の傾斜が急で一段が狭いので、歩きづらい。途中、壁があって階段が直角に左に折れている。「隠し部屋に関して、福澤理事長は前回の修繕の立会いで室内を確認されています。所蔵品も見ていますが、じっくりと触れたことはないそうです」 業平が階段を降りながら教えてくれた。 福澤里恵奈にとっては御先祖様が残した遺産だ。管理しているのは当然だ。「修繕に関わった者なら触れているだろうとのお話でしたが」 階段の下に着いて、業平がひときわ明るい蛍光灯型のLEDライトを付けてくれた。 持ち歩き用だから大きくはないが充分に明るい。「この中に、例の鍵を使うヒントがあるのですね」 國好の声が、いつもより興奮して聴こえる。 理玖は部屋の中を見回した。 ざっと見積もって二間程度の倉庫のようだ。天井が低いから圧迫感がある。背が高い晴翔や國好は少し屈まないと頭が届いてしまう。 その奥にこじんまりと纏めて、家具のような物が置かれていた。 古そうな調度品から家具、奥の棚には文献のようなものもある。 布を被せておいてあるのは、絵画だろうか。「ここにあるモンだけで、すげぇ値段が付きそうっすね」 歴史が古そうなものばかりだ。 理玖も同じように思う。 懐中電灯で一つ一つを確認していく。 それらしいものは見付からない。 調度品に気を取られていたら、壁に肩がぶつかった。